病の自分
マンションの部屋で朝を迎え、そしてまたマンションの部屋で夜を迎え、眠りにつく。
カーテンを開け、外の景色を見てふと思う。
自分だけ世の中の流れとは違う気がしてならない。地に足が着いていないような感じだ。
諸事情で今週は仕事を休みにした。
『心の病』を抱えている自分は様々な変化になかなか適応出来ない。
切り替え期間が必要と判断した自分が自宅待機(療養)ではなく、人と会い、遊んでいるに等しい・・・これまでのことですら自分勝手なことだったのか、単なる甘えや我が儘なのか、どんどんマイナス思考に走っていく。いつまでこんな自分と付き合っていかなければいけないのかと思う。
自分がある病気だとわかったのは10年くらい前のこと。
とある病院に転院と入院ができるかどうか聞くため、診療情報提供書を持参したときだった。その病院での受け入れは難しいこと、貴方のような人はゆっくり話を聞いてもらえるところが良いと言われ、何故かその時に診療情報提供書も封を開けたまま返され、診療代も払わなくて良いのでと言われて返された。今思えば、診療拒否なのだと思うが。
その帰り、封の開いた診療情報提供書を読んでみた。私が当時聞かされていたのは、『うつ病』だった。でもそこにはうつ病以外の診断もついていた。
【BPD】
??????????????
もう最初は?マークだらけ。
インターネットで調べると『境界性人格障害』と書いてあった。
しばらく理解できなかった。あまりに難しくて、初めて聞く病気だったから。
でも明らかに自分の思考や行動が一致することが多かった。
そしてそれからの道のりは長いものだった。
医師から直接の告知が無いため、自分で必死に病気について調べた。調べれば調べるほど苦しくなっていった。治療には時間がかかること、ましてや認知の歪みを治していくことは簡単なことではない。両極端な物事の考え方しか出来なかった人がどうやって変えていけばいいのか、自分がそういうふうにしか生きてこれなかったのに・・・。自分という存在を否定されたような気持ちと、自分の異常な言動に納得できる部分もあって、妙な安心感もあった。うつ病では説明のつかないことも納得できた。
今の病院に変えて最初に医師から言われたのは、『こんなに薬を飲んでて、どれが効いているかわかる?』という言葉だった。当時一日トータル20錠近く服用していた。抗うつ剤は2種類ほど服用し、抗不安薬も何種類服用していたかわからない。そこに眠剤、抗精神病薬、胃腸薬等々・・・多種多様の薬を服用していた。だから当然、どの薬が効いているかなどわかるわけがない。そしてここから減薬が始まった。
私の場合、抗うつ剤が2種類ほどあったので、少しずつ減薬していった。医師の診たてはこうだった。抗うつ剤によって衝動的行動が見られるのではないかと・・・。その診たては当たって、いくらか衝動的行動は減少した。その後はその時の症状や何か環境的原因等がないときに薬を増やしたりしているぐらいである。現在の薬の量は5種類ほど。眠剤は飲まなくても眠れるようになった。
問題は感情のコントロール。
何かあると大体一喜一憂してしまう。自分なりに病気の本を読み漁り、良いと思うことは取り入れてやっている。でもそれを実行させるのは本当に大変で、思うようにはいかない。
マイナス思考になりつつもプラスに思うことがある。それは今日という日を自分はどんなことをしていても生きていたこと。前ならば一日一日を大切に生きることなど出来なかった。自由にしているけど、生きていることだけでも凄いんだと思う。
こんな自分だけど生きている自分を褒めようと思う。
また明日がやってくる。
地に足が着いていると感じられるように・・・
久しぶりのブログにつき、乱筆乱文あるかと思います。
御了承ください。